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「みくに国際学園」の教育の特徴
「みくに国際学園」では、ユタ州のブリガム・ヤング大学(BYU)アジア中近東系言語学部の渡部正和教授が開発した「スリーステップ方式」による言語教育法を採用し、最先端のノウハウとイマージョン・プログラム(24時間英語使用)でバイリンガルの国際人を養成します。英語の他、コンピューターの基本操作なども、英語ネイティブの教師から学べます。さらに、BYUハワイ校のオンラインコースが履修でき、時間や学費の浪費なく、米国の大学に入学できるようサポートが受けられます。
授業では、言語教育法の特別訓練を受けた専門教師とインターン生が、英語を丁寧に教えます。海外留学を目指す日本の若人が、短期間で英語の基礎を学び、違和感のない発音でネイティブと話し、自学できる語学力を身に付けられるよう、最適な環境を提供します。
Mikuni国際学園とは、21世紀の国際社会に生きて活躍できる人材を育成する専門学校です。特に、語学と数学と情報科学を土台にしてアメリカのブリガム・ヤング大学の単位をオンラインコースで履修できます。湯沢校では全寮制で外国語の授業以外、生活もすべて英語で行われます。英語をマスターし、他の外国語を履修する学生は、英語同様、他の外国語だけでの授業が行われます。3学期制で、冬学期(1月から3月)、春学期(4月から6月)、秋学期(9月から11月)で、二年でブリガム・ヤング大学ハワイ校の一般教養の単位がすべて修得でき、アメリカの大学からの入学許可がおり次第、転校できます。外国語教育の教材や教育法は、ブリガム・ヤング大学プロボ校で開発されたスリーステップ法を使い、その他の課目のカリキュラムは、すべて、ほとんどが博士号を有する教授陣のアドバイザリーコミッティーによって決められています。
Mikuni国際学園は、末日聖徒イエスキリスト教会の福音にそった学園、つまり、隣人愛、それも人間はすべて神様の子供であり、互いに奉仕する大切さを学び、先祖を含めた家族の絆を大事にし、心身ともに健康で、幸福を求める教えを土台にしていますが、末日聖徒イエスキリスト教会の所有する学園ではなく、日本とアメリカの有志の寄付によって設立、運営されています。教会員以外の方々でも、このような教育を希望の方は大歓迎です。ただし、学園内やその他の施設内では、ブリガム・ヤング大学と同様、タバコ、アルコール、薬物、夫婦間以外の性的関係は固く禁止されています。また、不法、不正な行為やいじめ等のキリストの教えに反する行いは直ちに停学、退学の対象になります。この学園のモットーはブリガム・ヤング大学同様、「Enter to learn, go forth to serve. (学ぶために入り、仕えるために出て行こう)」です。
Mikuni 国際学園湯沢校は、2015年に開校の予定ですが、英語の講座は、2014年5月から開始いたします。
学長:ノーマン・シャムウェイ
学長:ノーマン•シャムウェイ(Norman D. Shumway)の略歴(http://en.wikipedia.org/wiki/Norman_D._Shumway 参照)
1934年7月28日米国アリゾナ州フィニックス市生まれ。カリフォルニア州ストックトン市で義務教育とストックトンカレッジ(短期大学)を終了後、1960年ユタ州ソルトレーク市にあるユタ大学を政治学で卒業、1963年カリフォルニア大学ハスティングス法律学校を卒業し、法学博士号を取得。
合衆国の政界に入る前に、ストックトン市にある法律事務所で弁護士として働き、カリフォルニア州の サンフアキン大学とハンフリース大学で法律を教え、カリフォルニア州の生涯の教育免状を有す。1974年に当時のカリフォルニア州知事ロナルド・レーガン知事によりサンフアキン郡の教育委員長会に任命される。1974年に公選で教育委員長会に選任され、1977年に副教育長、1978年に教育長を務める。
1978年11月にアメリカ合衆国下院議員として選出され、その後5回連続で当選、6度目の選挙には、民主政治の中で専門的議員を無くすためには上限5期までという自己の信条から出馬を辞退し、政界を離れる。ストックトン市の郵便局は、氏の功績をたたえ、ノーマン・シャムウェイ郵便局と命名。議員として特に、金融関係で数々の功績を残したが、アメリカ合衆国の政治家として日本語と日本文化に精通した、希有な人材として、日米の通商交渉、教育、親善活動にも活躍。故三木武夫総理の葬儀にはロナルド・レーガン大統領の依頼で合衆国を代表して参列。日本の政界にも顔が広い。
敬虔なクリスチャンであり、末日聖徒イエスキリスト教会の数々の召しを全うし、1996年から1999年までは同教会の広島伝道部会長、そして2000年から2001年まで同じくアジア北地域の広報部長を務める。その他、ソルトレークのVIP接待のディレクター、ニューヨークの国際連盟での同教会の代表も遍歴。現在、同教会の神殿宣教師として東京神殿で奉仕中。1960年に結婚した愛妻ルアナとの間に6人の子供、36人の孫と13人の曾孫の大家族の長。
愛、絆、智の普遍性を信じ、奉仕、学問、技術の大切さを強調し、個人や家族の幸福、市町村の発展、 世界平和のためには次世代をグローバルな視野から教育する重要性を痛感し、特に日本の若人の、知能だけでなく、心を含めたトータルな実践、体験を基にした、国際教育のため、2015年にMikuni International Collegeの初代の学長として就任する。